電子出版

滅びるというのは恐ろしいもの

 先々週だかのNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」で水木しげるがつぶやいた言葉。
 水木しげるが紙芝居を書いていた頃、世話になっていた音松が訪ねてきた。だいぶ、うらぶれている。紙芝居では食べてゆけなくなっていたのだ。紙芝居屋さんを楽しみに見ていた子どもたちが、いつの間にか消えてしまっていた。
 水木が描いている貸本マンガも、消えていく。マンガを売り込みに各出版社をめぐると、1ヶ月前にあった出版社がなくなり、残っているところも青息吐息。「滅びるということは恐ろしい」。
 先日紹介した『映画館の作り方』でも、ミニシアターの人がつぶやいていた。「お客様は、いったいどこに行ってしまったのか。映画ってもう過去のものなのか」。
 同じことが、本でも起こるのか? 電子出版は紙の本の敵か味方か?

電子書籍好きの朝日新聞

 5月28日付の朝日新聞は、さながら電子書籍の開幕宣言のような紙面だった。
 まずiPadの発売がでかでかと載っている。たかが一企業の一製品にここまでするか?、新聞の公益性はどこにいったと言いたくなる。
 iPadの記事で盛り上げて、ついでに自分たちの事業も注目してもらおうという魂胆のようだ。


 電子書籍国内連合と言っているが、ソニー凸版印刷KDDI朝日新聞電子書籍配信新会社のこと。出版社や端末機器メーカーが幅広く参加できる配信サービスを目指すのだという。


 アップルやアマゾンのように流通を独占し、端末機もコンテンツも自社で囲い込む戦略にたいして、「オープン」なシステムで対抗するという。アマゾンなど、流通マージンを65%欲しいという話だから、強欲に過ぎる。(価格などもふくめアマゾンの言いなりなら30%で良いと言っているらしいが、専門書を投げ売りされてはたまらない)。


 だからオープンであることは大歓迎なのだが、囲い込み、自社規格にこだわることが多かった日本企業が、本当にオープンなプラットフォームを作り運用できるのだろうか。
 僕は期待半分、懐疑半分だ。

電子書籍は紙をめざすのか

 記事によれば本をよむことに特化したキンドルなどの電子ペーパーと、多機能を追求したiPad等の情報端末は、目指すところが違うという。


 これは恐らく、一時の世迷いごとだろう。
 白黒ではお話にならないが、電子ペーパーがカラーになれば、電子ペーパーの読みやすさと、ノートパソコンの多機能性が無理なく融合した端末が欲しい。加えて、音楽プレイヤー、できればウォークマン並みの高音質が欲しい。携帯電話については、Ipadを耳にあてる気にはなれないが、それでも何か工夫があるのでは。
 なにもかも、一緒とはいかないにしても、あれもこれもと持ち歩くのはイヤだ。
 すでにIpadをノートパソコンに化けさせるキーボードが開発されているという。


 今のところ、メーカーの思惑、市場の囲い込みのために、壁をつくっているとしか見えない。いずれどこかが突破してくれるのでは、と期待したい。