新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』

 ちょっと評判になっているので読んでみた。
 昨年の関沼博『フクシマ』、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』に続き上野千鶴子さんの薫陶を受けた若手だとのこと。
 新さんのこの本も、新進気鋭らしく、すごく大きな視点から思い切った素描を試みていて面白い。
 また知らなかったこともある。たとえば、朝鮮戦争で日本が工業生産を急速に回復した時、雇用が増えなかったということ。そのうえ雇用不安を軽減するため女性・高齢者の非労働力化が意図的に進められたのだそうだ。また高度成長期においても第二次産業よりも第三次産業の雇用力のほうが大きく、商店街もまた完全雇用の実現に大きな役割を果たしていたという。
 なるほど、そういうことなら内外価格差の元凶のように言われた小売店の不効率も、一定の社会的な役割を果たしていたということになる。

 なかには単純化しすぎているように感じる議論もあるが、ここでは、最後の提案について触れてみたい。
 新さんは、福祉国家としての四つの類型として、I生活保護や年金、児童手当など個人への給付、II労働基準法など個人への規制、III公共事業・補助金など地域への給付、IVゾーニングや距離制限など地域への規制をあげ、日本はとりわけII、IIIをそぎ落として来たとしている。このバランスを取り戻すために、特にIIIの地域に対する規制を強化せよと主張している。

 この地域への規制としてあげられているのがゾーニングと距離規制だ。
 ゾーニングについては高さや容積、用途、店舗面積など、規制の実績があり、既存不適格といった問題はあるけれども、必ずしも新規参入者に不利とならない組み立てができるだろう。また地元資本、小資本優遇といった方法も、あり得るかもしれない。
 しかし後者が、既存の酒屋から500m以内には新しい酒屋が作れないといった規制を意味するなら、既存店が有利となり、新規参入が阻まれるのは避けられないのではないか。

 この本の冒頭に1974年に当時早稲田大学にいた村上春樹が500万円の元手で国分寺市でジャズ喫茶を開店した話が出てくる。当時は学生でも夫婦で500万円を掻き集めることは不可能なことではなかったが、そういったチャレンジはその後、土地・建設費が猛烈な勢いで上昇し難しくなったという。
 確かに地価高騰が新規開業を困難にし、その後もなくならない地価再高騰への期待が、土地や店舗の塩漬けをもたらしているとは思う。
 しかし、たとえば京都の町家レストランの草創期や、今日、各地の空き家を活用したビジネスでは、同様に小額の資金でのチャレンジが続いているのではないか。
 規制や福祉の再構築も必要だろうし、新さんのいう「地域社会が土地を管理する仕組み」は高松の事例など季刊まちづくりで紹介させていただいたが、商売はやっぱり個人の才覚でやるもんだよな、と思う。

(おわり)

○アマゾンリンク
商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)