藻谷浩介、山崎亮『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか? 』

 昨年7月、同名の対談をスタッフの井口さんがしかけ、1年かけて本にまとめた。
 もともとは『コミュニティデザイン』の広報の一環で、ホームページに載せる対談を藻谷さんにお願いしたところ、話が弾み、対談をすることになったものだ。

 山崎さんの"藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?"という問いに対して、藻谷さんは、経済成長率はいくつもの仮定をへて得られる数字で絶対のものではないし、仮にその数字が正しくても平均値(ないしは全体)の話であって、そのなかにいる個人個人の話ではないし、加えてフローを測っているだけで過去にどれだけのストックを蓄積してきたかはほとんど考慮されていない。そして最後に、経済的にストックがあって、かつ成長していたからといって、その人が人間的に幸福になれるとは限らない、と答えている。
 だから経済成長という指標で幸福を測ろうとすることは、関節が五つも六つもあるマジックハンドで、ものをつかもうとするようなものだと言う。

 この本の出版準備をしている5月下旬、JMMというメルマガで村上龍さんが「国の経済成長と、個人の幸福の関係をどのように考えればいいのでしょうか」と金融経済のスペシャリストに問いかけていた。それへの回答を見ても、「絶対的に貧しいときには、経済成長によって、幸福は実現できるでしょうが、豊かになってくると定説はない」(北野 一(JPモルガン証券日本株ストラテジスト))というところが大勢らしい。

 だから「経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?」という問いは、経済金融の人には、今さら論じるまでもないことなのかもしれないが、どうも、経済成長がないと不安でたまらないという雰囲気が、マスコミを中心に作られているのではなないか。

 だから特に良いなと思ったのは、「お金を稼ぎ続けなければならないというある種の脅迫観念からか、世の中全体が「鬱」になってしまっているんじゃないか。むしろ少しはストックがあるうちに、楽しいことや豊かな方向に使おう割り切ること。その先に日本が本当に成熟して豊かな文化国家になって、文化でお金を稼ぐステージに入れる」という藻谷さんの話だ。

 山崎さんは儲けるという言葉を再定義したいという。「お金を儲ける」という文脈だけではなく、「友を儲ける」「子を儲ける」という意味でも使いたい、「僕たちはお金以外のものも儲けたい」と言う。素敵な言葉だ。

 だけど、このようなチャレンジができるのは、日本が経済成長という尺度でみても、戦後、大きな成果を得たからでもある。
 だからこの本は反成長の本ではない。むしろ成長の果実をいかに美味しく味わうかを問うているのだと思う。
 バブル崩壊以降、ミニバブルを夢見て公共投資をつみあげて借金まみれになったり、構造改革なくして成長なしとかいって、首切りや雇用の不安定化を称揚したりしてきた。そんなことは、もう続けたくないと僕は思う。

 「お金を儲ける」と「友を失い」「子を産めない」となるような経済のあり方はおかしい。
 人を減らし、賃金を切り下げて一杯ものをつくって成長するというのもおかしい。だいち、そんなことをしても売れない。

 藻谷さんは「経済成長をするために国をつくったのか?」「それぞれの価値観は違うだろうけど、それなりに幸せに暮らすために国をつくったのでしょう?」と問うていた。

 「お金を儲ける」が「友を儲ける」「子を儲ける」と共鳴するような文化、社会・経済がいま求められているのだと思う。

村上龍JMM
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer725.html
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藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?