ダグラス・スミス『経済成長がなければ私たちは豊になれないのだろうか』

 山崎亮さんと藻谷浩介さんの『経済成長がなければ、僕たちは幸せになれないのか』という本を紹介したが、この本のなかで、山崎さんが対談のヒントとなった本として紹介された本だ。
 ただ、普通の本じゃない。
 戦後の経済学を見事に「ちゃぶ台返し」してしまっている。

 一番、驚いたのは現在の経済学、経済政策を支配しているのは「発展イデオロギー」だと断定していること。しかも1949年1月20日トルーマンの就任演説で「発展」という言葉が作り変えられ国策となったとしていることだ。
 それまでは「発展させる」という言い方はなかった。少なくとも他国を発展させるという文脈で使われたことはなかったという。「発展する」「成長する」という言葉は本来自動詞であり、前段階のなかに内在されている可能性が次の段階で実現する、言い換えると自身に内在する構造に従うような変化をするというような意味で使われていた。

 ところがトルーマン以降、アメリカやヨーロッパのような姿になることが発展だということになってしまった。それが世界の常識になったのだという。

 これって、本当かどうかは跡を追えないが、ある意味目からウロコだった。
 こういう見方があるのかというか、発展という言葉の持つ一面を暴いているように思う。

 だが、「アメリカみたいになるんだ!」と思ったのには無理からぬ面もあった。50年代、多くの人々がアメリカのテレビドラマのように豊かになりたい、と思った。誰も、それをアメリカに強制されているとは思わなかっただろう。小学生の頃、日本はアメリカの物量に負けたのだと教えられたし、木と紙の家だったから、あっさりと燃やされてしまったんだと聞いた。だからアメリカのようにコンクリートや鉄骨の街になることもまた、憧れだった。

 ところで、発展イデオロギーを様々な点から批判したあと、著者は仕事中毒と消費中毒から自らを解放し本当の意味での快楽主義を追求しようという。それはお金や物を使うことではなく、それゆえ給料が減ることを恐れて働き続けることでもなく、値段がついていない楽しみを発見することで、それを著者は対抗発展と名付けている。

 本当にお金も物も使わずに幸せになれるなら、経済は縮小し、物は売れなくなるだろう。極端にそうなってくれては困るのだが、たとえば公園はお金があろうとなかろうと、誰もが幸せになれる空間であって良いはずだ。

(おわり)

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経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか

藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?