戦争と平和(ソ連、1965〜67)

 ソ連がつくった超大作『戦争と平和』を見た。
 国家予算をつぎ込んで、戦闘シーンには1万人ものソ連軍を動員したというだけあって、CGのウソっぽい映画とは全然違う。
 ボロジノの会戦とモスクワ炎上の場面は、とりわけ凄い。人、人、人・・・炎、炎、炎だ。
 だけど、「それだけ」なんだよな。
 物量で描かれた戦闘シーンには、「主人公か危ない!」という緊迫感がない。
 モスクワ略奪の場面では、確かに主人公ピエールが理不尽な銃殺を目の当たりにするのだが、全般的にはフランス軍が紳士的に見えてしまう。(実際、放火したのはロシア軍で、焦土作戦だったらしい。)

 やっぱり、お金と人手をつぎ込むだけでは、素晴らしい映画は生まれない。商業主義もうんざりだけど、国家がありったけの資源をつぎ込んで、本物の美術品と兵士を使いまくるというのも、どうかしている。

 まあ、それは言い過ぎかもしれない。見る目が歪んでいるのだろう。
 まず第二次大戦や未来の戦闘場面を見過ぎた僕には、1800年頃の戦い方が、理解不可能だ。
 なんで、わざわざ鉄砲の的になりやすいように背筋を伸ばして整列して行進していくんだ? 砲弾が落ちてくる中、なんで塹壕もほらずに突っ立ている?とつい思ってしまう。

 また主人公たちの哲学的な独白も理解しがたい。
 『戦争と平和』と言えば、敗戦後の日本でもよく読まれた作品だし、僕も翻訳を読んだ記憶はある。インテリの必読書って感じで、その哲学的な言い回しが人気を博したのだろう。だが、主人公たちはお貴族様ばかりだし、描かれるのは贅沢な暮らし。主人公のピエールは、常に悩んでいる様子だが、はっきりいって暇人の悩みとしか思えない。
 
 悪口ばかりを書いたが、心に残ったのはナターシャがバラライカとギターに音に引かれ民族舞踊を踊るシーン。
 ナターシャを演じたリュドミラ・サベーリエワはレニングラード・キーロフ歌劇場(現マリインスキー劇場)の新進気鋭のバレリーナ。どこか陰のある表情で、朗らかな場面が少ないのだが、このダンスと、その表情は文句なしに素晴らしい。
 だからといって「絹とフランス語で育てられた娘にもロシアの魂は息づいているんだ・・・」というナターシャの叔父さんの独白には、そんな大げさな・・という感じてしまうのは、「ロシアの魂」にかけるロシアの人たちの思いへの理解不足なのだろうか。

(おわり)