大西隆編著『人口減少時代の都市計画〜まちづくりの制度と戦略』(4)



 本書紹介の最終日、少し感想めいたことを付け加えて終わることにしたい。

日弁連の意見書

 都市住民にとって身近な都市計画は、マンション紛争に代表されるように、住宅地のど真ん中に超高層ビルを建てることを唆したり、あるいは規制する制度というところだろう。
 そんなこともあってか、日弁連都市計画法の改正について意見書を出している。
 その要点は次の通りだ。



 本意見書について日弁連では、2010年8月19日付けで、「持続可能な都市の実現のために都市計画法建築基準法(集団規定)の抜本的改正を求める意見書」をとりまとめ、同月24日付けで国土交通大臣環境大臣等に提出しました。

 意見の趣旨
 持続可能な都市の実現を目指し、快適で心豊かに住み続ける権利を保障するために、今般の都市計画法の抜本的改正にあたり、建築基準法(集団規定)も抜本的に再編して統合し、下記の内容を含むものとすべきであり、下記の内容を含んだ「都市計画・建築統合法案(仮称)要綱」を提案する。


 記

1.持続可能な都市を形成・維持すること及び快適で心豊かに住み続ける権利を保障することを法律の目的とすること。
2.「計画なければ開発なしの原則」及び「建築調和の原則」を実現するために、全国土を規制対象としたうえで、市町村マスタープランに法的拘束力をもたせ、開発されていない場所では開発が認められないことを原則とし、その例外を認めるためには地区詳細計画の策定を要するものとすること。
3.都市計画の基本理念・基準として、地球環境保全、まちなみ・景観との調和、緑地保全、自動車依存社会からの転換、子ども・高齢者・障がいがある人等への配慮並びに地域経済及び地域コミュニティの活性化を定め、市町村マスタープラン及び地区詳細計画などの都市計画・規制基準の策定並びに開発・建築審査はこれに沿って行われるものとすること。
4.前記3の基本理念を実現するため、現行建築基準法(集団規定)を再編し、都市計画法と統合し、開発許可と建築確認を一体化させた、総合考慮が可能な許可制度とすること。
5.市町村に土地利用規制や具体的なルール策定・個別審査の権限を付与して、地方分権を拡充すること。
6.都市計画及び規制基準の各策定手続、許可手続への早期の住民参加を権利として保障すること。快適で心豊かに住み続ける権利を保障するため、不服申立人適格・原告適格の拡大、裁量統制の厳格化、執行停止原則あるいは一定期間の無条件の執行停止を含む行政不服審査及び司法審査の各手続を抜本的に改正すること。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/100819_2.html より


 さすが弁護士さんだけあって不服申立人適格・原告適格の拡大などへの目配りが細かい。

 ただ、一読して分かるように従来の都市計画の根幹をなす部分については、マスタープランの規範性を高め、「計画なければ開発なしの原則」を厳格化し、例外は「地区詳細計画」の策定を義務づけるという、ドイツの都市計画の思想に近いところがある。また制度としては「開発許可と建築確認を一体化させた、総合考慮が可能な許可制度とする」とイギリスのそれを想起させるものになっている。


 今後、無秩序な開発よりも、無秩序な土地や建物の放棄が大きな問題となってきたとき、「計画なければ開発なし」と言ったところで、開発が起こらなければ許可も不許可もできない。では逆に「計画なければ放棄なし」「周辺に調和しなければ撤退は許可しない」と言えるだろうか。言えないだろう。たとえば、撤退する郊外大型店の社会的責任を問う、といった場面はあっても、潰れられたらお仕舞いだ。


 もちろん縮退の過程においても、無秩序な開発は残るだろうから、「計画なければ開発なし」が無意味だとは思わないし、マンション紛争を減らせるなら、それだけでも意味がある。しかし、「あふれ出てくる開発をいかにコントロールしていくか」という枠組みのままで良いのだろうか。


 弁護士さんたちだから、不正だけども合法といった状態を改めることに注力されていることは分かる。また元々、集団規定に限って議論したものだから、それ以上のことは範囲外だと言われたら、その通りなのだが、市町村マスタープランに法的拘束力をもたせても、良くも悪くも変化が起こらないと規制は効かない。


 改革案としては物足りない。

大西さんの考え方


 マスタープランについては、大西さんもその重要性を指摘している。1992年の「市町村マスタープランによって市町村全体や部分の将来像が示されたので、将来像とそれを実現する手段としての都市計画という関係が明確になってきた意義は大きい」(p30)、しかし「住民主体のまちづくりが都市の将来構想等の計画づくりに止まっていて、それを実現する具体的な手段までに至っていないという問題が存在している」(p31)。


 だから将来のあるべき姿は、「用途地域、施設整備、都市開発事業や地区計画等の具体的な都市計画に対するマスタープランの規範性を強めるように記述の具体化を図り、マスタープランを絵に描いた餅にしないことが重要である」(p254)。


 ただし「筆者(大西)は、逆都市化時代においては、区域区分は、中心地、既成市街地、その外延部、さらに市街化調整区域と、整然と分割されて行われる必要はないと考えている」(p255)。
 たとえば富山市の構想では、コンパクトなまちづくりを進める拠点は、都心部の一点に集中しているわけではなく、鉄道駅や基幹バスの停留所を中心に広範囲に存在している。現行制度では、その拠点がたまたま市街化調整区域に指定されており、開発できないといった矛盾も生じている。


 また「用途地域性では、用途の一つに農地を入れるべきと筆者(大西)は考えている」「住宅系、商業業務系、工業系に加えて農業系、さらには緑地系の土地利用を積極的に位置づけて、無理な開発を抑制して、それぞれの土地の持つ特性が発揮されるようにすることが求められている」(p255)。


 このように広がってしまった市街地の見据え現実的な対応をとることと、とりわけ市街地内の農地に積極的な位置づけを与えることを主張されている。


 また「密度の低下に合わせて不都合を改善する発想」を強調されていたが、対応する「都市施設や市街地開発の合理的な展開」として、「高齢者向けの諸施設をできるだけまちなかに立地させて、高齢者によって賑わうまちをつくりあげる」「そうした空間を見いだすために、再開発や修復事業を進めることが市街地開発の重要な目的となる」とされている。

最後に

 これからマスタープランを重視し、その実現を図って行くには、従来の巨額の費用をかけての大規模事業とは違った発想の公共事業が重要になってくるのではないか。


 いままで市街地再開発も区画整理も、土地を有効利用しようという流れに沿って、開発費用は土地の増価で賄うという発想だった。これからはそれは難しそうだし、だいいち、土地の増価や有効利用が都市計画の最大の目的とも思えない。


 本来は税金を投入しなくても市民一人一人の行動、投資や事業が将来像に自然に近づいていくような流れが望ましいが、人口減少時代に人びとが何を望むのかは、まだ見えていない。
 いわば転換点にあっては、いままでの惰性を止める規制と同時に、ありうる将来像を示すような、モデル的な取り組みが必要だと思う。


 そんためには都市計画事業もあり方を変え、またお金はそれほどかけられないとしても、細々とした物が必要になるだろう。


 本書では区画整理について岸井隆幸さんが、市街地再開発事業について遠藤薫さんが論じている。また『都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ』では佐藤滋さんがまちづくり市民事業を論じているし、3月末には佐藤滋編『まちづくり市民事業〜新しい公共による地域再生』も出版する。


 これらから、人口減少時代へ向けた転換期の事業のあり方の端緒をつかんでいただければと思う。


 ただそれは、都市計画というより、昨日の表1に示されたように省庁を超えた総合行政で取り組むべきことだろう。そうでなければ効果も限られるし、なにより、人々の生活の将来像を描くのは、基礎自治体の最大の政治課題だからだ。


(おわり)


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