第3回季刊まちづくり26号読書会(3)

提案16.新しい都市のパブリックスタイルを育む


問題提起

 武田重昭さんからは提案16について説明があった。
 まず最初に
 (1)建設・管理から、使いこなし魅力を共有する施策へ
 (2)私的な生活の充実から、社会的な生活の充実へ
 (3)都市の基盤整備から、その上で展開される生活像へ
という問題意識が示され、それに沿って論を展開された。


(1)建設・管理から、使いこなし魅力を共有する施策へ
 まず都市に関わる各主体間の都市に関するコミュニケーションの大切さを強調されたうえで、「いいまちだなあ by SMAP」といった不動産のイメージ広告を示し、そんな風にしか都市イメージが伝えられていない事への異和感を訴えられた。

 それにたいしてアムステルダムの「Iamsterdamキャンペーン(私がアムステルダムだ)」等を示し、これは「I Love NY」を超え、私が都市の一部だと訴えている。だから市民主体の、あるいは市民と都市が共鳴するシビック・プライドの醸成ではないかとされた。そしてこうしたイメージ戦略をトータルに計画するための都市情報センターの必要性を言われたような気がする。
 なお、この内容は武田さんも参加された『シビックプライド』に詳しく書かれているそうだ。


(2)私的な生活の充実から、社会的な生活の充実へ
 ここでは屋外空間で他者と直接的・間接的に関係をもちながら過ごす「パブリックライフ」は、都市生活の根元的な魅力であり、例えばオープンガーデンは、自らの生活環境を彩る暮らしのあり方をすこしだけ開放的にすることで、街の魅力に繋がるとされた。
 そこでは本人にとっても、街にとっても良いという好循環が生まれており、また、一軒が緑化すると隣にも波及して繋がっていくという現象も見られるという。


(3)都市の基盤整備から、その上で展開される生活像へ
 ここでは安全でクリーンでも「○○をしてはいけない」という形で管理されている公園はつまらないとされ、雑誌論文でも紹介された「e-よこ水辺ピクニック」を紹介された。
 これは昨年の水都大阪の際に、東横堀川水辺再生協議会の依頼でNPO法人パブリックスタイル研究所が企画・運営に携わったもので、普段は使われない水辺や芝生のうえで地域の子どもたちや会社員がピクニックを楽しんだというものだ。
 イベントの最後にはピクニック宣言を採択し、みんなで署名をして終わったという。


 武田さんはこのイベントの効果として
 1)建設・管理型から利用・PR型の都市マネジメントのあり方を示した
 2)人びとにパブリックライフの豊かさを伝えた
 3)ソーシャルキャピタルの形成に寄与する施策のあり方を示した
の三つを雑誌論文ではあげている。


 そして最後に、このような公共空間の使いこなしの積み重ねが、地域の新しいパブリックスタイルを育むのではないかとされた。
 そして、そうした都市生活像を地域で共有することができるか、それを支えるためのコミュニケーションが巧く図られるかを課題として示された。

議論

 以上、三つのお話があったのだが、相互の関係が僕には今ひとつ分からなかった。


 議論でも大きなこととゲリラ的なことが一緒に提示されているが?とか、Iamsterdamは行政のキャンペーンで、地元が連動して動いているのか、といった疑問が出ていた。


 また、武田さんは制度改正への示唆はなにもないと言われたが、都市施設の定義を変えるのであれば大きな話ではないかとか、使い方が下手なのではなくて、使いたくなる公共空間がないのではないかという厳しい指摘もあった。


 その点、大丸有の仲通りは良い感じだとか、ストリートアーティストもいいじゃないか、ただあれをヘブンアーティストのようにルールを決めて縛るのが良いのか悪いのかとか、やっぱり地域が公共空間を管理すべきだとか、はてはこういうことが地区計画的なまちづくりに繋がるんだろうか?まで、百家争鳴だったが、議論の焦点は定まらなかったという印象だ。


(1)建設・管理から、使いこなし魅力を共有する施策へ

 都市レベルのブランディングについて言えば、Iamsterdamはほんとにうまいキャンペーンだと思うし、バルセロナの「Barcelona Batega!(あなたがドキドキすると、バルセロナもドキドキする)」なんてのは、もうしびれるほど凄いと思う。
 が、こういうのが成功するには、それなりの素地がないといけない。
 そうした素地をつくる地道な作業が、むしろ都市計画や、それに近いまちづくりに求められるのではないか。

 「あなたがドキドキすると、京都もドキドキする」と言われても、なにかが違うが、「そうだ 京都に行こう」は旅行キャンペーンとしても成功したし、京都に住む僕の誇りもくすぐった。
 しかし「日本に京都があって良かった」は行き過ぎだな。僕的には。
 「あなたがドキドキすると、大阪もドキドキする」はどうだろう。ぴったり来るだろうか?。


 それはともかく、なぜ都市キャンペーンが、「使いこなし、魅力を共有する施策」の代表なのだろうか。


(2)私的な生活の充実から、社会的な生活の充実へ

 オープンガーデン自体は大変結構だし、趣味には合わないがクリスマス時期のイルミネーションもまちづくりだ。
 これらは、行政がまとめている場合もあるだろうが、ともかく個人がやりたくなければ、始まりようがない。


 ただ、ここでは「公共空間における社会的な生活の充実」、あるいは「公共空間での社会への働きかけ」といった形で話を限定したほうが良かったと思う。
 これを社会的な生活の代表と言ってしまうと、「だからハード屋さんは目に見えるものしか見ていない」と言われてしまうのではないか。


(3)都市の基盤整備から、その上で展開される生活像へ
 確かに、安全でクリーンでも「○○をしてはいけない」という形で管理されている公園はつまらない。それは大いに共感できる。
 だから、「こんな楽しい使い方ができるぜ」とやってみせる、巻き込んでみることは、まちづくりの手法としては面白そうだ。
 まちづくりは、やっぱり面白くなくてはという面からも、普段、見ている風景が、まったく違って見えることを体験出来そうという意味でも、意味があると思う。


 ただ、こういう活動に持続性があるのか、武田さんたちが引いたあとも、誰かが勝手にピクニックを楽しむようになったのか、あるいはピクニッククラブができたのかという点はどうなのだろうか。
 例に出ていた鍵のかかった空き地について言えば、従来から鍵は地元が管理しているが、実質的には使われていなかったそうだ。その鍵は、たびたび開かれるようになったのだろうか。そのためのルールなりはできたのだろうか。


 中谷ノボルさんたちが、水辺ランチとかを定期的に開いていた。これは、禁止されているものに挑戦するというより、自分たちの楽しそうな様子を行き交う人びとに見せて、水辺の魅力を知ってもらうという趣旨だった。


 泉英明さんたち都市大阪創生研究会がやったリバーカフェでは、正々堂々とリバーカフェを開くことで、後に続く人たちに道をつけることを意識したという(森山秀二、泉英明)。
 だから河川や港湾管理者など行政との七面倒くさい交渉もきちんとやった。だから、これは行けるぞ!という感じで営利、非営利の活動が、その後生まれてきているという。


 同様にピクニックの積み重ねが、地域の新しいパブリックスタイルを育む可能性は大いにあると思う。
 でも単純な話、あそこで花見ができたら良いなあ、でも禁止されているのか、誰もやっていないしなあ〜という場所で、楽しそうにやっていたら、「明日は僕もお弁当をもってこよう」となるが、そうでもない場所だと、広がらないのではないか。


 そういう意味で、専門家ならではの目、場所の再発見があるのかどうか、そのあたりも聞きたかった。


○関連ブログ:8月18日
 PPS著『オープンスペースを魅力的にする』


○ミニ社会実験・リバーカフェ参考資料
・2004年第1回都市環境デザインセミナー「ミニ社会実験:リバーカフェ」(泉英明/森山秀二)
・鳴海邦碩編著、森山秀二、梶木盛也、岸田文夫、篠原祥、泉英明 著『都市の魅力アップ