ヨアン・S・ノルゴー、ベンデ・L・クリステンセン著、飯田哲也訳『エネルギーと私たちの社会』

 これは1982年にデンマークで出版され、日本では2002年に訳された本だ。だから書かれてから30年、訳されてからでも10年経っている。


 興味深いのは、このころ、デンマークでも原発をめぐる議論が盛り上がっていたが、70年代の反原発派の主張は「原発の廃止分は再生エネルギーで補える」というものだったとのこと。それが、本書も一つのきっかけとなり「原発の廃止分は省エネでまかなう」に変わったということだ。

 それまで、右派、左派にかかわらず経済成長は自明の目標だったという。電気をいっぱいつかえば、それだけで経済成長にとってはプラスだし、電気をいっぱい使う製品が売れれば、ますますプラスになる。電気を一杯使うことが、幸せにつながる。だから原発を廃止しても、廃止分は新エネでまかなうとしなければ、誰も賛成しなかったという。
 それが30年前頃から風向きが変わった。都市開発もヨーロッパでは70年頃からコルビジェ的な未来都市像が嫌われ出したと聞くが、同じように近代化への疑いが、エネルギーの大量消費にの及んだということなのかもしれない。


 ところで、京都でも関電前で大飯原発の停止を求めるデモが続いているが、7月頃だったか前を通ると、歩道上に並んだ人たちのスローガンのなかに「電気は足りている」「節電も要らない」という声があった。計画停電を振りかざして原発の再稼働を強行した関電への反発だろうし、節電、ひいては経済成長へのマイナスを言われることへの予防策なのかもしれないが、共感できなかった。



 小異に目くじらを立てるのは良くないとは思いつつ、早く日本も「節電、いいじゃないか」という流れになって欲しいものだと思う。

 ちなみに、これから事故の後始末や廃炉に莫大なお金がかかるが、それは経済成長には寄与することになる。しかも後始末だから商品を生み出すこともないのでデフレ対策にもなる。
 一方、節電は、石油の消費量も減らすし、新規の原発や火力発電所にお金を使わなくて良くなるので、その分、GDPは減る。ひょっとすると成長率もマイナスになるかもしれない。
 だからって、原発をガンガンつくって廃炉にお金をつぎ込んで、最後は超立派な核廃棄物の貯蔵庫をたとえば地下1万メートルに建設するってことに夢を見ることができるだろうか。

 『経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか? 』なんて問うまでもないと言われたこともあるけど、こういう例では確かにそうだ。


○アマゾンリンク
エネルギーと私たちの社会―デンマークに学ぶ成熟社会


藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?