上橋菜穂子『月の森に、カミよ眠れ』

 上橋菜穂子さんの『精霊の木』に続く作品。1991年に出版されている。
 上橋さんを知ったのは会社の若いスタッフに「美少女剣士が好きだったら、ちょっと中年だけどバルサが良いよ」と教えてもらったのがきっかけだった。そして中年の女剣士バルサが活躍する『精霊の守人』を読んだ。その後読んだ『獣の奏者』には熱中した。いずれもベストセラーだし、NHKがアニメ化している。
 だが、上橋さんの問題意識は初期の作品のほうが生々しく出ていると思う。

 この本の舞台は山奥に住む隼人の村だ。彼らは山の神とともに狩猟採取の生活をしてきたが、朝廷の権力がおよび、都での労役を課せられる。それを免れたければ稲作をして米を献上するしかない。そのためには聖なる沼に手を付けなければならない。しかし掟を破ることは村を滅ぼすことになるかもしれない。だが、今の暮らしは耐えるにはあまりにも苦しい。掟を破らなければ文明において行かれる。
 悲しいことに村人に神殺しを決意させたのは朝廷の武力ではない。武力による征服はとっくに終わり、隼人の多くは、文明に属し生活を変えている。山奥で、その変化に取り残されていた村人は、都に労役にゆき、都の繁栄を知り、すでに文明に服した同族の冷たい視線を浴びる。それが、彼らを焦燥にかりたて、都から神殺しナガタチを自ら呼び寄せることになる。
 物語のヒロインは蛇を祭る巫女カミンマとなったキシメ。蛇ガミのタヤタに愛されながらも、神を捨てようとする村人との板挟みになって悩む。
 どうして神は掟をほんの少し変えることも許さないのだろう。人の命よりも大事な掟とは何なのか。カミはそれが村を滅ぼすことになっても意に介さないのだろうか。果たしてキシメはカミを愛することができるのか、それとも自らの手でタヤタを殺めるのか。
 キシメが決意しかねている間に、神殺しナガタチがタヤタに挑み、その混乱のなかで村人たちが「鉄」の毒でカミを殺す。

 描かれているのは自ら文化を滅ぼすこと、そこから逃れられないことの悲しさ。救いのなさ。
 同じカミ殺しの物語でも、もののけ姫ではタタラ場、さらには大和朝廷が殺し屋だ。
 蝦夷の末裔、アシタカはサンのようにカミの側にたって闘いはしなかったが、カミ殺しの側にも立たなかった。
 だからサンが「アシタカは好きだ。でも人間は許せない」と言って去っていく。
 しかしタヤタを殺したのは隼人の民だ。
 タヤタは「絆は、切れてしまった。おれは、このまま黄泉に還り、月の森にカミの言葉を語る者はいなくなる」「でも、人としての俺は・・・お前が愛しい」というキシメへの言葉を残して死んでいく。
 もののけ姫でも、サンとアシタカの未来は暗い。だが、「生きろ!」というメッセージが心に響いた。『月の森に、カミよ眠れ』ではキシメは世捨て人となり、村民はカミを殺してまでして作った米を口にすることもできず、カミを鬼と呼び変えてでも、生きていくしかない。

(おわり)