山崎亮『コミュニティデザインの時代』

 山崎さんの『コミュニティデザイン』に続く単著。
 『コミュニティデザイン』が彼が取り組んできたプロジェクトを軸に、彼の考え方と技の発展を辿る本だとすると、こちらは「コミュニティデザイン」をざっくりと整理して述べた本だ。
 僕たちの本を含めて共著、対談など、一杯出ているが、やはり単著は良い。この2冊はお薦めだ。
 さて、山崎さんの本を初めて読んだ人は何もかも新鮮だろうが、もう何冊も読んだという人には、「3章 人が変わる、地域が変わる」の5節「集落診断士と復興支援員」に注目して欲しい。
 彼は2006年から兵庫県の研究所で中山間離島地域に関する研究に携わり、中山間地域を専門に研究するセンターを集落の空き家を活用して設立し、そこに集落を支援する専門家、集落診断士を常駐させようと提案したという。
 ただ、その提案は兵庫県では実現せず、数年後に海士町で実践された。最初は事務所のスタッフが一人で診断と支援を行っていたが、14集落に一人では人手が足りないということで、総務省集落支援員制度を使って6名の集落支援員を役場に採用してもらった。
 支援員は集落を回って話を聞き、住民自身が集落の将来について話し合う基礎を作っていった。
 一方、集落支援員は人々と親しくなるうちに古い雑貨などを分けて貰えるようになった。30年前のコップとか、持ち主にとっても骨董としてもさほど価値はないものなのだが、若い人にはレトロで可愛いと思えるものだった。集落支援員たちは、それらを綺麗に洗い、販売し、月20万円ほど売り上げるようになったそうだ。元手がタダだから悪くない。これは集落支援員総務省のお金を貰えなくなっても自立してゆくための第一歩だという。
 山崎さんはこのような集落支援員が、復興の現場にも必要だと書いている。これは新潟県中越地震の復興期に活躍した復興支援員のようなものだだという。実は集落支援員も、いま本をつくっている地域おこし協力隊も新潟の復興支援員の成功が一つのモデルになっているという。
 その復興支援員が今回の震災でも必要だという議論だ。
 これには諸手をあげて賛成したい。
 同様のことは震災直後から小林郁雄さんが強く主張していた。僕も、政府の復興構想会議の委員になっている方に、同様のことをお話ししたのだが、なかなか理解して貰えなかった。意見を聞いてまわったり、御用聞きのようなことをする普通の人も良いけど、福祉や介護、医療など、もっと専門的な技能をもった専門家の支援が必要だと言われてしまった。
 当時はまだ避難所生活が続いていた頃だったこともある。
 また当時は『コミュニティデザイン』が出たばっかりで、集落ごとに丁寧なヒアリングをし、集落の人たちと話せるようになり、時にはワークショップをしたり、話し合いが自然に随所で行われるようにし、将来のビジョンの合意の基礎を作る、そして新たな事業を生み出したりする仕事は、まだ名前もついていなかった。
 結局、総務省が復興支援員を制度化したが、小林さんたちが意図していたような大規模なものにはならなかった。また、山崎さんが海士町でやったような集落支援員へのきちんとした研修は、まだ広まっていない。『地域おこし協力隊』の原稿を読むと、多彩な人たちが、ほんとうに多様な仕事をしている。素晴らしい取り組みもあるが、研修や支援体制はまだ暗中模索のような感じだ。
 そんなことだから、急に大規模にというわけにはいかなったのかもしれない。
 だが、膨大なお金をかけてハードを整備するだけが復興ではないし、ハード事業を進めるための合意だけが、話し合いではないだろう。今からでも、少しでも、コミュニティデザイナーの卵たちを復興の現場に送れないだろうか。いや、送りたいものだ。

(おわり)

○地域おこし協力隊の本
http://www.gakugei-pub.jp/gakugeiclub/chiikiokosi/index.htm
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