中川真+編集部『これからのアートマネジメント〜ソーシャルシェアへの道』

 アートでソーシャルシェアって何だろうと思って買ってみた。
 中川真+編集部による序文では、現在のアートとアートマネジメントには、社会問題になりやすい場から、一見何事もない日常の場まで、ともにシェアする新しい公共空間(公共圏)をつくること、またそのプロセスを支援することが重要だと語られている。
 そして「重要なことは、協働というスタイルで」あり、「アーティストが被排除傾向の人々に寄り添い、そこから立ち上がってくる、声にならない囁きを汲み取り、表現につながる模索の旅をともに続」け、「この生きにくい社会を変革していくというミッションに取り組むこと」だという。

 このように編者の中川さんの主張は先鋭だ。
 だが、残念なことに「ああ。こういうことか」と頷ける事例はなかった。一つには僕自身のアート体験の少なさゆえの読解力の不足、そしてアートを言葉で伝えることの難しさもあるだろう。
 また、本全体がこういう問題意識で貫かれているかというと、やや渾然としている感じがする。

 面白かったのは、「大半のアーティスト、あるいはアーティストの卵は貧困である」という中川さんの指摘だ。そんなの、当たり前じゃないかと言われそうだけど、創造都市とかを行政が議論するとき、その点が抜けているように感じていた。
 中川さんは、さらにアーティストは「精神的に豊であるとしても」「排除の構造のなかの当事者」であるという。
 だから、「自覚的に社会とかかわる」人も出てくるし、社会的問題の解消や克服の現場に関わる時、何かをしてあげようという慈善的な眼差しではなく、アーティストとしてなにがしかの可能性、これまでにない表現の形式や内容を生み出す可能性をそこに見い出せるのかもしれない。

 またこういった活動は、アートという異物を日常世界に投げ込むといったかつての方法とは異なり、ホームレスや障害のある人、重篤な入院患者との「協働」として行われているという。孤高の立場からアーティストが社会に挑戦状をたたきつけるのではなく、社会的包摂に自ら参加していく・・・時代は変わったもんだ。
 ただ、「経済や福祉、環境の施策と組み合わされることによって、それが仕事として成立する」という「したたかな計算もある」という。
 そういうことは僕が若かったとき、70年前後には口が裂けても言えないことだったと思う。反社会を気取りながら、有名になることを夢見るよりも余ほど素直というか、しっかりしていると言うべきだろう。

(おわり)