「都市をつくる仕事」の未来に迫る Crosstalk#2

「まち飯」の面々〜いま、都市をつくる仕事に、もの申す

 「都市をつくる仕事」の未来に迫る Crosstalk#2が4月5日に行われた。
 山崎義人さんと谷亮治さんの絶妙なパフォーマンスで始まったCrosstalk。スタッフの岩切さんが報告するので、僕は思いつきを書いてみる。

 議論が混乱する最大の問題は「都市をつくる仕事」とはいったい何なのかということだ。
 僕のような中高年は丹下健三の東京計画1960のように、都市の大改造ビジョンを提示したり、千里や多摩のようなニュータウンをつくる都市プランナーや建築家、土木家を思い浮かべることだろう。今なら汐留の巨大ビルディング群の建設やスカイツリーだろうか。

 一方、都市に住み、働き、遊ぶ人たち一人ひとりが都市をつくっているとも言える。それじゃ仕事と言えないというなら、働いている人に限定しても良い。

 しかし前者は機会が少なくなる一方だろうし、Crosstalkに集まった人たちはそういうことに夢を感じていないようだった。かといって後者は広すぎてとらえどころがない。

 では、どんな仕事なのか。
 Crosstalkで「まち飯」の衛藤さんは八百屋を例に、「普通の八百屋さんは『いま、都市をつくる仕事』には載せないだろう。じゃあ、どんな八百屋さんなら載せるのだ?」と迫っていた。
 これに対して、野菜を売ることが第1の目的ではなく、都市の社会的課題の解決を主目的として八百屋さんをやっているなら、都市をつくる仕事と呼びたいという意見がでた。なかには故郷にもどって地域の人たちのコミュニケーションの場となるような小料理屋を開くのが夢だと語る「いま都市」メンバーもいた。

 だが、これも難しい。食糧難の時代なら、野菜の供給そのものが重要な課題だし、今なら買い物難民を生まないために、お店をなんとか続けること自体に意味があるとも言える。NPOが取り組む野菜屋さんなんてのも実際にあるし、コミュニティ・レストランなんて運動もある。しかし、そんなことをわざわざ言わなくても、昔は普通に八百屋さんがあり、溜り場があった。

 いやいや、普通が普通でなくなって民間ではお店は続けられなくなり、かといって行政が公設市場をつくる時代でもない。だから買い物困難地域でのお店に先駆的に取り組んでいる人たちの仕事は、「都市をつくる仕事」と言えるのではないか、という見方もあるだろう。

 だが、それは都市社会を良くしていく仕事と言えるかもしれないが、「都市」をつくる仕事と言えるのか。だいち、建築や都市計画を学んでコンサルや行政に務める「いま都市」メンバーの小料理屋より、ちゃんと学校や現場で修行した料理人の小料理屋のほうが良さそうだ。また場を楽しくできるかどうかは個人の資質だろう。

 一方、会場から杉本さんが紹介した「都市をつくる仕事をつくる仕事」という見方は面白かった。たとえば伝統野菜のブランド認定をする仕組みを公的な力も使ってつくるとか、地域に必要なお店を続ける人たちの固定資産税を減免したり、お店の開業資金を貸し付ける。あるいは伝統野菜や有機に相応しい木造の家並みを応援する、地域の人たちが歩いて、自転車で来やすいようにハードを整えるといったことが思い浮かぶ。
 このなかにはソフトだけで解決する場合もあるだろうが、ハードに手を出すことが必要になる場合もある。さらに、人々が使いやすいお店の設計や改修も入れれば、建築の仕事は都市をつくる仕事にいつでもなりうるということだ。

 1年前に『まちづくり市民事業』を書いた川原晋さんに来ていただいて「いま都市」の人たちとセミナーで議論してもらったが、川原さんの主張はこれに近かったと思う。
 ただ、ここまで限定してしまうと、行政や行政的なマインド、権能をもった人たちと、ハードに直接関わる人に「都市をつくる仕事をつくる仕事」をする人は限られてしまう。それでは狭き門にすぎる・・・というのが『いま、都市をつくる仕事』を書いた「いま都市」の人たちの気持ちなのかもしれない。

 だが、地域の課題解決にハードが必要となる場合は、そんなに少ないのだろうか。防災にしても福祉にしても、いまの街を改修していくことが必要な場面はいっぱいある。
 蓑原敬さんは、都市計画の存在意義を、「空間を扱えるのは我われだけだ」と確信をもって語っておられた。「いま都市」の人たちも、社会課題の解決のために必要な「これをできるのは俺たちだけだ」という芯を自信を持って打ち出して欲しい。

(おわり)

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