花街の建築と景観+舞妓さん遊び

 新潟大学の岡崎さんに誘われて弘道館で行われた「花街の建築と景観」というセミナーに嫁さんと一緒に出かけた。お目当ては終わってからの舞妓さん遊び体験。二人とも一度も経験したことがないし、一生に一度ぐらいは体験したい、というのでいさんで出掛けた。



 
会場の弘道館入り口と会場内のおひな様(旧暦に従い今頃とのこと))


 セミナーは「花街の建築と景観」というだけあって、建築や景観の話が大半だった。
 もう少し文化の話があっても良かったのにと思ったが、質疑応答では「建築や景観のつっこんだ話が不足している」という指摘も出ていた。

 岡崎篤行さんと帆苅典子さんの説明によると、芸妓さん、舞妓さんがいる花街がまとまって残っているのは大都市では京都と東京、金沢、そして新潟だけだという。あとは七日町、酒田、小浜、奈良などにあるが規模は小さい。

 東京あたりでは奥様方など新しい客層がボチボチ出てきているそうだが、新潟では厳しい。そのため行政が芸妓さんとのランチに補助金まで出して、広く市民に客層を広げようと応援しているそうだ。
 また、伝建地区など保全策が講じられている花街もあるが、新潟の古町や東京のいくつかの花街では町並みは守られていない。ただ神楽坂は頑張っている。

 京都府立大学の大場修さんと檜垣友映さんは、京都にいながら新潟の古町に足繁くかよい調べている。お話によると京都と異なり妻入りで、隣家と壁を接することがなく、路地が通っているという。そこは私有地なので道でありながら2階がせり出してきていたり、特徴的な景観になっているそうだ。
 また表通りに面しているのに、表通りに玄関を設けず路地から出入りするようにしていたり、表通りに玄関があっても座敷は路地方向にのみ開かれているなど、路地が大きな意味を持っているらしい。

 また新潟大学の今村洋一さんの報告では、古町にはかつて料理屋(料亭)が9軒、茶屋がが26軒、置屋が110軒、花街関連業が22軒と全部で167軒もお店があったが、いまでは料理屋さんが11軒残る他、茶屋などが11軒、計22軒に激減しているという。
 ただし、飲食・スナックは6軒から184軒と激増していて、かつ歴史的建造物を使い回しているものが多いのだそうだ。料理屋さんも結婚式などに使われる事が多く変わってしまったそうだが、お酒を楽しみ、会話を楽しむところという場所性は受け継がれているようだ。

 そのほか、金沢、神楽坂から報告があった。
 地元京都からは、井上えり子さんから、上七軒の住民の意識調査の報告があった。居住者は、持ち家、借家、賃貸マンションのどれに住んでいても、歴史的景観を誇りに感じており、お茶屋経営者も歌舞練場・検番・お茶屋を建て替えるのではなく、古いものをできるだけ残したいと考えているという。
 また住民・店舗・お茶屋さんの何れも「優美で落ち着いた街」を望んでおり、とりわけお茶屋さんにそれが顕著だという。お茶屋さんは観光客の増加に警戒気味だということだ。また住民も含め、良い上七軒にするために協力したいとの意向が強く、花街建築を登録文化財とすることには合意ができており、建築物規制にも前向きだという。
 さすが京都は市民意識が高い。時代の最先端を走っているって感じだ。

 加えて井上年和さんから「近代期の京都花街」の報告があり、質疑応答も終わって、いよいよ待望の舞妓さん遊びが始まった。


 

まずは踊りから

 来てくれたのは上七軒の市桃さんと三味線の方(地方)。
 「みなさん、楽にしてくれやす」という地方のアイスブレイクから始まり、まずは踊り。よーわからん。

 そして宴会。舞妓さんと三味線の方がお酌をして回ってくれる。地方の方が場をほぐすのが上手で、いろいろと教えてくれた。三歳のころから修行させられてきたそうだ。ピアノやバイオリンと一緒だ。ただ今は京都でも中学を出てから舞妓さんを目指す人が大部分とのこと。
 ところで中学を出たばかりだとバリバリの未成年だ。この席でも話題になっていたが、労働基準法により十八歳未満の人を酒席に侍らせることはできないが、京都は条例で舞妓さんを例外としているという話がある。調べてみたが、どうもウソらしい※1。目くじらを立てないということに尾ひれがついた京都神話なのだろう。
 なかにはお酒も飲んで良いと書いてあるHPもあるが、これは確実にウソ。



 
お酌をしている舞妓さんと、お話してくれた地方さん



 
舞妓さんとの記念撮影


 最後は「トラトラ」という遊び。
 舞妓さんとお客さんの間に屏風を立て

   千里走るよな藪(やぶ)の中を
   皆さん覗いてごろうじませ
   金の鉢巻きタスキ
   和藤内がえんやらやと捕らえし獣(けだもの)は
   とらとーら とーらとら
   とらとーら とーらとら
   とらとーら とーらとら

と歌いながら、最後の3行の最初に後ろに下がりお互いに見えないようにして、ポーズを取りながら前に進む。和藤内は虎に勝ち、虎は老母に勝ち、老婆は自分の息子の和藤内に勝つ。それぞれ、槍で刺す、襲いかかるトラ、そして杖をついたおばあさんのポーズだ。
 早く順番がきてしまって、そういった事がほとんど分からないまま、踊りも歌もできないまま、槍のポーズで市桃さんに勝った。
 ただ勝っても負けてもお酒をつがれて飲まされたが、そんなものなのだろうか。



 
トラトラ遊び。トラのポーズでおばあさんに勝ったのは嫁さん。


 岡崎さんは、花街にこそ日本文化が残っている。単なる建築の保存ではなく、文化として残さなければならないと力んでいた。
 花街は、全国で消滅の危機にあるという。京都では変身舞妓が流行っているし、舞妓になりたいという人は少なくない。だが、舞妓・芸子さんを育てる置屋さんを継ごう、なろうという人が滅多にいないという。
 新潟では、その対策として柳都振興株式会社がつくられ、若い留袖(芸妓)4名、振袖(舞妓)6名が所属しているという。ただ仕事はきついのに固定給で、割に合わない・・・という感じもあるらしい。
 そういうふうになってしまった原因は支えていたお客さんが減ったこと。京都で言えば主に室町の旦那衆や企業が支えたいたが、いまどき交際費を潤沢に使える旦那も企業も限られる。またそういうことをしている旦那や企業をみる目も厳しくなった。まして行政が中央官僚を舞妓遊びでもてなすなんて考えられない。
 ポケットマネーでやれば良いようなものだが、そんな粋なことをする人は少なくなったという。
 花街にこそ日本文化の真髄が残っているのかどうか、真偽は僕には分からないが、こういう文化をそのままの形で残すのは難しいだろうと思った。

※1
柏木健一『祇園は恋し』(文芸社

(おわり)