竹内昌義『原発と建築家』、内田雄造追悼文集『ゆっくりとラジカルに』

 3.11から1年がたち、原発事故の強烈な印象もだんだん薄れてきた。
 昔、黒澤明の映画※1を見て、きっとこうなるんだろうと恐れていた破局と比べると、ずっと影響が少なく、人が目の前でバタバタ死ぬという事態にはなっていない。ひょっとすると首都圏3000万人の避難が必要になるかもと、政府が検討していたとのことだが※2、幸い、そんな破局的な事態は避けられた。
 「さあ、忘れよう」という風がだんだん強くなっているように思う。

 そんななか、震災当時、率直な疑問をツィッター上でつぶやいていた竹内さんにスタッフの井口さんがお願いし、本書は出来上がった。竹内さんは原発にも反原発にも関わって来た人ではないが、原発ともそう遠い関係ではない建築の専門家として、いろいろな方にインタビューいただき、読者とともに新しい時代を考えようという企画だ。

 内容は目次の通り。原発なんて関係ないなんて言っている建築関係者にこそお読みいただきたいけど、無理だろうなあ〜。壁は厚い。

インタビュー1 松隈 洋
 建築家として何を話せるのだろう(2011.11.7)
インタビュー2 後藤 政志
 安全を設計するのは誰なのか(2011.11.25)
インタビュー3 佐藤 栄佐久
 発電所を受け入れた町になにが起こるのか(2011.12.10)
エッセイ──なぜ、環境的な建築の必要性を感じたのか 竹内昌義
インタビュー4 池田 一昭
 「スマートな都市」をイメージしてみる(2011.12.2) 
インタビュー5 清水 精太
 エネルギーのベストミックスは何か(2011.12.3)
インタビュー6 林 昌宏
 再生可能エネルギーは不安定なのか(2011.12.9)
インタビュー7 三浦 秀一
 地方でこそ再生可能エネルギーを活かせないか(2011.12.8)
インタビュー8 飯田 哲也
 建築家として、何から始められるだろう(2011.12.10) 

 ところで、本書の松隈さんとの対話のなかで竹内さんは「原発はプラントで建築ではないし、電気やエネルギーはインフラ的なもので建築の領域の外の話、都市計画や政治、経済の話と同様に専門以外の出来事なので、ノーコメントに徹しているように見えてしまいます」と言っている。
 この発言は、ちょうど送られたきた『内田雄造追悼論文集』にのっていた東大裁判闘争の被告人尋問と重なって見えたので紹介しよう。

 「僕(内田)にとって非常に印象的なのは、東大闘争が1月18,19にのぼりつめていく過程で、僕の周辺には、さっきの鈴木助教授(鈴木成文さん)はじめ、いろいろな若手の助教授なんていたわけです。今までの僕の場合、かなり東大の研究生活、長かったわけで、彼らとも随分研究でつき合ってきた彼らが、1月の段階で僕達に言ったことは、君たちの闘争は政治闘争なんだ。それは当たり前だったと思うわけですが、君たちの方針では、東大はつぶれちゃうと。機動隊の常駐するような大学になり、文部省直属の大学になったら、私たち、良心的な教官は大学を去る。そういったわけです。いずれにせよ、君たちの方の方針には反対する。・・中略・・そういうふうに最後通告までしたわけですよね。・・・・1月のあの局面を闘うことを抜きにして、建築の問題なんて、僕自身、担いきれないと思ったわけです。・・・保釈で出てきて、今、建築で再度活動するときに、日照権の問題で彼らに討論しかけに行ったと、・・・その日照の問題なんていうのをあなたなりに引き受けて欲しいと。建築の問題では闘うと言ったではないかと。そういうふうな形で論争をしかけていったわけですね。そうすると彼らはもうそれは建築の問題ではないと。与えられた条件のなかで、たとえば非常に住居をつめこめといわれれば、それをつめこむという中で、良い空間を作ることが、私たちの役目だと、そういう形ですでに彼らと僕らが、今、建築をしゃべるといういうときには、建築という概念、カテゴリーが変わって行っている。そんな状況になっているわけです。」

 当時のことを知らない人には、なんのこっちゃかもしれないけど、簡単に言えば、いったい誰のために学問をするのか、ということを多くの人が真面目に考えていた時代だったのだ。大学解体を叫んで安田講堂に立て籠もった内田さんも、反対だと言った鈴木さんも、それは同じだったと思う。

 内田さんの真摯さには心を打たれるし、闘争の敗北が管理強化を許し、小さな領域に引き籠もらざるえない状況をつくったともいえるだろうが、運動全体が先鋭化することで、曖昧な態度を許さず、与えられた条件のなかで良い空間をつくる、政治も都市計画も触れないという立場に追い込んでしまったという面もあると思う。年をとったから思うのだろうが、一気に飛べる人間って、そうは多くないんだ。まして意識的に飛べる人は。

 そういったことがエネルギーにも敢えて触れないという建築専門家の態度につながっているように思えてならない。


 もちろん、これはおかしい。
 なにも原発に疑念を持ったからといって明日から電気を使ってはいけない訳ではない。だけど当時の言い方をすれば「原発の電気を使ってきた自分を自己否定する」みたいなことを突き詰める風潮があったと思う。
 ただ、内田さんは自身には厳しい方だったようだが、他人には他人の土俵にあがって話そうとされる寛容さもあったと思う。そういう人ばかりだったら思考停止を蔓延させるようなことにはならなかったのに、と思う。
 竹内さんは「今、私たちに必要なのは、問題があることを認識し、自分で情報収集して考える、そして考えたことを人と共有することだと思う」と書かれている。
 そういう当たり前のことを、僕も含め、普通の人間は取り戻さなきゃいけない。


 内田雄造さんは東大闘争で逮捕された数少ない東大生の一人で、後には東洋大学で学部長も務められた人望の厚い方だが、志を最後まで守った人だと思う。昨年1月、3.11を見ることなく逝去された。残念ながら、何度か打ち合わせはさせていただいたものの本は出せなかった。ご冥福をお祈りします。

※1:
『夢』のなかの赤冨士
※2:
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20111014-OYT1T01096.htm

(おわり)

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原発と建築家: 僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えた。