『都市・まちづくり学入門』『いま、都市をつくる仕事』クロストーク2

『都市・まちづくり学入門』での議論

 では、どうするのか。
 『都市・まちづくり学入門』では、枠組みの議論は深めている。
 たとえば松村暢彦さんは「8章 まちづくりを担う市民」のなかで、似田貝さんの「都市政策と「公共性」をめぐる住民諸活動」という図を引用し、家計(私)が縮小し担えなくなった私と公の間の「共」のうち、市場性も公共性もそれほどでもない領域をになる市民活動が必要になってくる様を説明している(図1 市民活動の役割)。



 企業についていえば、CSRといった形で担える部分もあるだろうが、それは本業が儲かってこそという側面が否めないから、儲からなくても持続できるリターンを得るビジネスが必要になる。それがまさに「ボランタリー領域で生活費を稼ぐ」ことの社会的な意義なのだが、じゃあどうやって稼ぐかは指南してくれない。


 一方、坂井信行さんは「7章 まちづくりを支える専門家」のお医者さんと患者さんの関係になぞらえた議論が面白い。
 お医者さんにとって一人称の死は自分の死だ。
 二人称の死は妻や恋人、親、親しい友人などの死だ。
 一人称はもちろん、二人称のの関係でも、メスをふるって腹をかっさばくなんてことは、普通はしない。
 普段の仕事は見知らぬ三人称の患者さんであり、その死に喪失感や悲嘆はあまりない。
 しかし、これからは客観的、専門的対処と、温もりと共感の視点を併せ持った2.5人称が必要なのではないか、と坂井さんは言う。
 これはコンサルとかの職を得て、まちづくりに関わっていく時の新しいスタイルを示しているが、2.5人称のまちづくりオンリーで飯が食えるのだろうか。




 また「図1 まちづくりの主体者と支援者」では土の人と風の人の関わり方を示している。
 土の人は一人称だ。
 風の人は三人称の関係だ。お医者さんが患者さんと向き合うような関係と言って良い。
 とすると2.5人称のまちづくりで「飯を食う」のは、この図でいうと民間プランナーやコンサルタント、教育・研究者の「プレイヤーとしての関わり」とされている領域だろうか。
 坂井さんはプロボノをここに位置づけているが、普通はプロボノは本業があってのもので、プロボノでは飯を食えない。
 ここで飯が食えないか?
 たとえば「町のお医者さん」は、これからは地域の人々と顔の見える関係で繋がって、福祉や介護とも連携して地域のトータルケアを担っていくのが望ましいと聞いた。高齢者が増えるにつれて病気を持ちながらも楽しく、明るく暮らせるように「支える」のが主な仕事になるのだそうだ。(NIRA報告書『老いる都市と医療を再生する』)
 建築学会ではコミュニティ・アーキテクトとか言って、まちにべたっと張り付いて、まちづくり的な視点ももちながら、設計者として稼いでいくようなあり方を提案している。
 同様のことが、民間プランナーにはありえないのか。そんな事は分かっているけど、建築ですら地域で飯を食うのは難しいのに・・・という声が聞こえてきそうだ。

(続く)


○「都市をつくる仕事」の未来に迫る Crosstalk
#1都市をつくる役割を考える
 魚谷繁礼×梶隼平×鄭英柱×佐久間康富×武田重昭
 3.17 京都
#2「まち飯」の面々
 いま、都市をつくる仕事に、もの申す。
 4月上旬
#3久隆浩と「なる都市」の方々
 まちづくりで飯が喰える時代がくる!くる?
 山崎義人×柴田祐×松村暢彦×坂井信行
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 4.12 大阪
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