三島邦弘『計画と無計画の間 〜 「自由が丘のほがらかな出版社」の話』

 著者の三島さんが主催するミシマ社は、西村佳哲さんの『いま、地方で生きるということ』や、平川克美さんの『小商いのすすめ』を出している出版社だ。

 その創業から数年間のドタバタを書いた本だが、いまどき、こんなにエネルギッシュで、明るくて、能天気な出版社があるのかと、心底羨ましくなった。

 なかでも驚くのは書店にかける熱意だ。
 経費節減のために、書店員さんもアルバイトやパートが増えてしまって、仕入れはPOSというコンピュータ管理が大威張り。昔みたいに「売ってやろう」なんて心意気を見せてくれる書店員さんはめっきり減ったと諦め気味の人が多いなかで、「本と人が出会う場」としての書店を信じて行動を起こすなんて、普通ではない。そのうえ、実際に成果をあげている。

 業界批判とか、そういう後ろ向きの話は少ない本だが、そのなかで新規参入を阻む出版界への批判は重たい。書かれているとおり新規参入がなくなったら、業界は化石化して滅びるだけだろう。それは戦後出版界の宿痾と言っていい。

 そんなことは業界の勝手だろう。なにも業界が一致団結してそうしているわけではなく、取次という本の問屋さんが、新規参入は赤字必至だから個々に新規参入に厳しくしているだけで、自由競争の結果だ。なんの文句があると言われるかもしれない。

 だが、それは違う。なぜなら本は「文化」を守るために定価販売を小売店に義務づけることが認められているからだ。だから「文化」を守る義務がある。

 ではその文化とは何か。功成り名を遂げた出版社がつくるハイカルチャーな本だけが文化ではない。まして、売れてなんぼということだけを考えているマスカルチャーだけでもない。有象無象の訳の分からないマイナーな文化もふくめ、多様性が文化のキモだ。

 だから新規参入が容易になるように頑張るのが再販制度で守られた業界の努めだろうが、景気が良かった数十年前も、不況の今も、そんな発想は業界からは出てこない。
 もちろん、単に意地悪をしているというわけではない。新規参入は流通にとって重荷なのだ。
 どんな業界だって新参者には厳しいだろう。表通りの路面店に名も実績もお金もない若者が、店を構えることなど出来ない。裏路地の壊れかけた店舗を借りられれば御の字だろう。なのに、出版を始めたい人は、起業してすぐに、全国数千、数万の書店の店頭に本を並べられないと売れないと思っているところがある。もちろん、そんなことをされては返品の山になるだけで、流通が持たない。
 言ってみれば、裏路地の小店舗のような形で起業できれば良いのだが、起業する側にも、流通側にも、そういう気持ちがあまりなくて「オールオアナッシング」って感じなのだ。

 ミシマ社の偉いところは、書店との直接取り引きという、気が遠くなるような手間暇をかけて、裏路地からの起業を成功させ、いまでは、ちょっとした注目スポットに小洒落た店舗を進出させてしまったことだ。
 丸の内にはほど遠いし、自由が丘の駅前にも距離があるけれども、駅からちょっと離れた住宅街にあるミシマ社の立地は、象徴的な感じがする。


 その社屋が古家だっためか、震災後、京都市南部の城陽に避難していた。
 東京に戻ることになったとき、城陽をもう一つの拠点として活動することにしたという。なんでも関西の学生と協力して本屋さんも開業するらしい。
 今後が楽しみだ。

(おわり)

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計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話