山崎亮『コミュニティ・デザイン』(2)
ここでガンガン書きたいところだが、『コミュニティ・デザイン』はまだ校正段階なので、今回は発表済みの原稿を『コミュニティデザイン』と絡めながら紹介したい。
山崎さんとの今までの仕事
『テキスト ランドスケープデザインの歴史』
昨年の秋、井口さんが企画し、山崎さんと、武田史郎・長濱伸貴さんとの共編著で書いていただいた『テキスト ランドスケープデザインの歴史』(2010)は、ランドスケープデザインの近代の流れを知る上で役に立つ。
そのなかで1960年ごろから試行錯誤された住民参加によるデザインが、単に参加によってデザインの結果を豊かにすることに止まらず、参加のプロセスを通じてチームを組織化し、主体意識を醸成し、継続的にマネジメントに関わる仕組みを構築することに深化したことが述べられている。
そうすることで、風景に関わる人びとが増え、風景を活き活きとしたものできる、と考えられるようになった。
『コミュニティ・デザイン』は「1章 つくらないデザインとの出会い」から始まるのだが、これはまさに上記の流れのなかにある。
山崎さんはランドスケープデザインを勉強すればするほど「どんなに設計者がこだわった公園でも、そのほとんどが10年もしないうちに人がいない寂しい場所になってしまうのは何故か」という疑問を覚えたという。
その疑問への一つの回答が、1章の最初に紹介されている有馬富士公園でのパークパネージメントの仕事だ。無料の公園ではお客様のために歌って踊ってくれるディズニーランドの「キャスト」ような人を雇うことはできない。
ならば、来園者がゲストであると同時にキャストになれないか。
考えてみれば、メインストリートにはショーウィンドー、着飾った男女など、見るだけで楽しいことがたくさんある。ヨーロッパなら大道芸人がいるし、日本の路地にいけば、住む人々が育てた草花がたくさんある。街には、見る、見られる関係がすでにあるのだ。
いわば公園を使うだけではなく、見る、見られる、楽しむ、楽しませる関係をつくる。
言い換えれば公園を使うコミュニティをどう創るかという課題がここから見えてくる。
『マゾヒスティック・ランドスケープ』
山崎さんの仕事に触れたのは、スタッフの宮本さんが担当したランドスケープエクスプロラーという若手のグループによる『マゾヒスティック・ランドスケープ』(2006)が最初だった。
従来、空間デザインは人の動きや感情を思うがままに制御しようとしてきた。しかしそのようなサディスティックな空間に人びとは満足しているのだろうか。
「たとえば、午後3時に銀行が閉まった後、その前でヤクルト売り始めるおばちゃん」がいる。ヤクルトはおよそ売れていなのだが、「この人が空間をつくると、どこからともなく地域の高齢者が集まって」きて楽しそうに話を続けるという。
空間の設計者や所有者の意図を超えて、使いこなされてしまう空間。それがマゾヒスティックな空間であり、そのようなマゾ性をもった空間をつくることを目指すべきではないかと、山崎さんをはじめとするランドスケープエクスプロラーの面々は主張していた。
『コミュニティデザイン』の「2章 つくるのをやめると、人が見えてきた」のなかで、ランドスケープエクスプロラーが紹介されている。
これは僕の勝手な解釈だが、マゾ性をもった空間をつくる、多様な使い方を受け入れる空間をつくるといったことは、矛盾を孕んでいるように思う。
なぜなら、それではユーザーはお釈迦様の掌のうえの孫悟空になりかねないからだ。自由奔放に飛び回っているつもりでも、設計者が用意した多様性のなかに納まっていたのでは、なんだか釈然としない。だから、「つくるのをやめないと、人が見えてこない」。
空間の設計者からコミュニティデザインに踏み出す契機がここにあるように思う。
今回は詳しく触れられないが、家島や海士町の取り組みでも、僕には山崎さんは従来の観念で言えば、計画することをやめ、そうすることで人と人を結びつけ、人と街との関係を作り直そうとしているように見える。計画というサディスティックな行為のありようを、根底から変えようとする試みだと思う。
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山崎亮、武田史郎、長濱伸貴編著『テキスト ランドスケープデザインの歴史』