大西隆編著『人口減少時代の都市計画〜まちづくりの制度と戦略』(2)



 本書の第1章で大西さんは都市計画法の基本を次のように整理している。

 都市計画法を構成すべき要素は、(1)都市計画の決定や実施の主体、(2)都市の将来像と管理、(3)都市計画の具体内容、(4)都市計画の財源、だという。
 特に(3)都市計画の具体内容については、1)土地利用、2)都市施設整備、3)市街地開発を挙げ、詳しく書かれている。


 そしていつの時代、どの国の都市計画制度にも、これらが十分に備わっているとは限らない。だからこれらを充実度の尺度として日本の都市計画制度を考えてみたいが、「都市計画が詳細で厳密であることが都市計画の発展を表しているとは一概にいえない」(p12)とされ、都市計画の意義と節度をまず論じている。


 すなわち計画とは「将来について、あらかじめ現時点で定めること」であり、都市計画とは「将来の都市のあり方を、現時点で決めること」「その実現に向けて行うべき、土地利用規制、施設整備、市街地開発事業を定め、財源を用意して実施すること」(p13)であるとする。


 大西さんは「快適な都市に暮らすには、適切な都市計画が必要であることには、相当な社会的合意がある」とされるが、「その適切さについては種々の議論がある」(p13)。すなわち計画の反対概念が無計画であるとすれば、無計画よりも計画が優れていることは論をまたないとしても、計画の反対概念が自由であるとすれば、計画経済に対する自由主義経済体制の優位もまた明らかだ。


 だから都市計画は「無計画と非難される状態に陥らないように積極的に計画を定めることが必要になるが、他方で自由を抑圧し、都市の様々な可能性を奪っていわれないように節度を持つことが必要となる」「無計画と自由の束縛という両極端に至らない節度が求められる」(p14)と主張されている。


 都市計画というと、もう少しきっちり決めろよと思えることが多く、つい厳しさを求めてしまうが、それは一面的な見方のようだ。とても分かりやすい議論で、「そうか、なるほど、都市計画とはそういうものか」と視界が開けたような気がする。


 だが、知りたいのは「その先だ」という人も多いだろう。


 たとえば人口減少時代でも都市の将来のあり方を現時点で決め、それに向かった邁進するような形がありうるのだろうか、ということ。
 人口減少あるいはマイナス成長が負け戦とは限らないと頭ではわかっていても、感覚はなかなかついていかない。


 もう一つは、人口減少時代における「自由」とは何か?ということ。
 今までが勝手に色々と試してみる「発展への自由」だったとすれば、そしてこれからもそういった側面はなくならないとしても、社会的な意味合いは随分変わってこないだろうか。


 十数年前、京都の総合計画の公開コンペでGKデザインのEさんが、京都の将来像として、御苑の中だけが街になって、その外はみんな農地か自然という絵を描き、面白いと注目された。


 これは極端な話だが、何か新しい物を提供し、あるいは新しくできる物を制御して良い街をつくろうとしてきた都市計画が、マイナス成長の時代にどのように貢献しうるのか、その方向転換の手がかりをどうしたら掴めるのか、本書をじっくりお読み頂きたい。


続く


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