長坂泰之『中心市街地・活性化のツボ』(7)

上乃裏通り

 最後は熊本市の「上乃裏通り(かみのうら)」エリアを紹介しよう。
 実はこの街のことを初めて知ったのは8年ほどまえ、藻谷浩介さんの幻に終わった原稿だった。「これだ!」と思ったことを覚えている。

 昨年の藻谷浩介さんのセミナーでは残念なことに取り上げられなかったが、長坂さんの原稿によれば、飲食店や雑貨店など地元の若手経営者が工夫した個性的な100軒以上の店舗があり、いまでも活気があるそうだ。


 この「上乃裏通り」ができたきっかけはなんだったのか。それは20数年前に江戸時代の繭蔵をこの地域に移築・改装し、ビアホールとして活用したことだった。その改装を手がけたのがサンワ工務店社長の山野潤一さんだ。


 「20数年前までこの下町は老朽化した民家が立ち並び人通りも少ない地区だった。それがこの1軒のビアホールの誕生をきっかけに、今では個性的な店に若者が集まるお洒落なエリアに変身した」。「山野さんはこのうち90軒以上の町家の改装に関わったという」。


 たとえばその一軒、栄屋旅館では「おかみさんは経営が困難になり閉鎖を考えたが、土地は借地のために旅館を閉鎖して建て壊してしまったら収入が全くなくなってしまう。相談に来たおかみさんに対して、山野さんは彼女の人生設計も考えテナント貸し出し用の賃貸店舗への改造を提案した」。


 「おかみさんは提案を受け入れたものの改装資金が足りない。ここでも山野さんは知恵を絞る。手持ち資金の範囲で先行して建物の一部を改装して店舗として貸し出し、数年をかけて残り部分の改装資金を蓄えたうえで、その他の部分の改装を行うという身の丈に合ったプランを示したのだ」。


 山野さんは地主さん、家主さんだけではなく、出店する若者たちの面倒も見ている。
 「老朽化して壊してしまう家や店、蔵などの情報が入るとすぐに駆けつけ、古材や廃材、家具から食器にいたるまで何でもトラックに載せ郊外にある自分の倉庫に持ち込む」。そして開店する若者たちに「金がないんだから贅沢はするな」と言い自分の倉庫に行かせるというのだ。


 「山野さんによれば、上乃裏通りは栄屋旅館の例のように、「大家さんは家賃が安定的に入ってくるので感謝してくれる。テナントの若手経営者は大家さんが安く貸してくれるので感謝してくれる。お互いにすごい信頼関係ができる。そしてお互いに感謝の気持ちを持ってくれる」そんな通りだという」。


 一工務店の地道の取り組みが、ここまで街を変えられる。
 地主さんと若手経営者の夢をかなえ、上乃裏に関わるみんなの気持ちがつなげている。
 初めて知ったときには感動した。
 建築学会でコミュニティ・アーキテクトといった議論がされているが、山野潤一さんこそ本当のコミュニティ・アーキテクトではないか。それも単に建物のアーキテクトではなく、生活と街のアーキテクトだ。だから佐藤滋がいう「まちづくり市民事業」の民間版とも言えそうだ。


 8年前、都市計画・まちづくり系の人たちは、この街にほとんど注目していなかった。今でも知る人は少ない。
 「住民主体の」と言っても、こういう自生的な動きを見逃してしまうのは、推測だが、なんの計画もなく、補助金も受けず、よって有名コンサルも学識者も研究者も噛んでいなかったからではないか。


 なお、上乃裏は、周囲に住宅があり、多くの人が住んでいることが大きいと藻谷さんは書いていた。東京でも駅に近い、そして周辺から徒歩や自転車で来られる人が多い商店街は概して元気だという。


 非日常を求め、山に登るような感覚で「お町」に来るというような人だけでは、限られる。
 街に人が住んでいなければ、中心市街地も孤立した廃墟でしかない。
 やっぱり長い目で見れば中心市街地をいかに人が住める場所にするかが、問われている。


(続く)


○関連資料
藻谷浩介「丸一日・中心市街地活性化塾」
http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1010mota/index.htm


横森豊雄・久場清弘・長坂泰之『失敗に学ぶ中心市街地活性化―英国のコンパクトなまちづくりと日本の先進事例