広井良典『持続可能な福祉社会』(3)


 今日も、広井さんの本を紹介しよう。

関係性のハードとしての都市景観

 広井さんは日本の農村地域にはそれなりの景観あるいは秩序があるのに、都市景観がこうまで醜いのは、「農村から都市に移ってきた日本人は、そこでは周りは自分にとってまったくなじみのない「他人」の世界であるから、周囲との調和や共同体的な秩序といったことには全く気を配ることはなく(ある意味では“解放?されて)、それぞれの家や建造物を“自由?に建てていたのである。そして、自分の土地や建物の「内部」は自らの空間として細やかに手入れをする一方、その「外」は全くの別世界として意識の外に置かれた」(p221)と書かれている。


 関連して思い出すのは丸茂弘幸さん(元関西大学教授)のイギリスでの体験談だ。
 有名なイギリスのニュータウン設計事務所におられたとき、日本人の集団が視察にやってきた。彼らの似たり寄ったりの背広姿を見て、イギリス人はみな驚いたという。

 一方、職場で好き勝手な服装をしているイギリス人だが、その自宅は似たり寄ったりの意匠で、驚くほど没個性に見えたという。


 なぜ、こうなのか?。
 広井さんの説明を当てはめると良く分かる。
 同じ集団内では、自己を主張せず、同調しようとするから、服装のしきたりにはうるさい。
 しかし、住宅の周りは別世界だから、好き勝手にする。

 たいしてイギリス人にとって、服装は「俺は独立した個人だ」というのことの表現なのだろう。一緒じゃ、違いが分からない。一方、自宅のあり方は社会的なルールには従うぞ!という表現なのかもしれない。


 景観行政が遅々として進まないのは、日本に西欧のように市街地像がないから、という議論があるが、「そこに暮らす人々の関係性が、街並みや景観等にいわば“体化?して現れる」(p222)のだとすると、これはながい時間がかかりそうだ。

都市計画の新たな挑戦

 ちなみに、広井さんには『都市計画の新しい挑戦』の一節を寄稿頂いている。「コミュニティとしての都市〜定常型社会と「福祉都市」のビジョン」という、これまた普段感じていること、言葉にはなかなか出来ないことを、はっきりと形にしてくれる原稿だ。


 コミュニティ感覚やつながりの意識は「“コミュニティ醸成型の空間構造”(あるいはその反対の“コミュニティ破壊型の空間構造”」とも影響しあっているということ、そして住宅や福祉施設の配置、あるいは都市空間のあり方は、福祉にとっても重要であり、これからは都市政策や街づくりと福祉政策の統合が求められるという指摘は、市場経済、消費者としての市民の欲望との軋轢に心を奪われがちな僕たちに、原点を思い出させてくれる。


 人口減少時代、都市の縮退にどう対応するかということも大事だけど、働き方、生き方の変化や、人と人との関係性の変化に、どう対応し、依拠する公共性についての発想を変えてゆくのかという大きな視野から考えてみることも必要だと思う。


○『都市計画の新しい挑戦』関連情報
・蓑原敬さんへのインタビュー
http://www.gakugei-pub.jp/chosya/002minohara/02mino2.htm
・佐藤滋さんへのインタビュー
http://www.gakugei-pub.jp/chosya/012sato/s_index.htm

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