第4回季刊まちづくり26号読書会(2)〜環境・生態系の視点

提案08.環境・生態系の視点を都市計画制度に位置づける


 田中貴宏さんは広島大学で、建築環境や都市環境を専攻されている。
 都市政策になにかを提案するというよりも、都市の物理的な環境を認識科学的に研究している。
 したがって学問的な立場から、科学的知見をきちんと示し、あとは市民や政治の政策選択にゆだねるというスタンスだと強調されていたのが印象的だった。

都市の環境資源の利用

 たとえば風の道が大気汚染の希釈やヒートアイランドに有効なことはよく知られているが、それぞれの都市でどんな風が吹いているのか等を記した都市気候図も一部の自治体にしかなく、それを利用しようという社会制度もない。


 これを都市計画に位置づけられないか。
 たとえば尾島先生は風の道に等級をつけて、道路のように等級に応じて管理主体を決めてはどうかと提案されている。


 また横浜では環境部局の依頼で風の吹く方向や強さ、緑化が効果的な場所はどこか、風通しが悪く工夫が必要なところはどこかを示した都市気候図をつくった。都市計画部局の人も検討委員会に入っていたが、あまり細かいものを作られても対応できないといった感じだった。

都市の生態系保全

 生物多様性の観点から見れば、都市はまわりの生態系に迷惑をかけなければ良いそうだ。
 だから、するべきことは、1)外来生物が入ってこないようにする、2)汚染物質を排出しない、3)都市内の絶滅危惧種保全するといったことに限られる。


 だから都市の生態系を考えるとき、その目的は、都市に住む人びとに対するサービス(生態系サービス)の提供にある。
 たとえば都市のなかの生態ネットワークも、人びとが生物との共生を求めて初めて必要となる、いわば都市生活者への文化的サービスだ。


 逆に言えば「身近にどのような自然景観を望むのか?」、たとえば「ススキとトンボが飛び交う草地景観」を望むのかどうかについて合意があるなら、そのための術は生態学分野に蓄積されている。
 したがって、なんらかの制度、たとえば都市計画がそのような合意を形成する場となると良いのではないか。

提案をめぐる議論

 こういう話も難しい。
 会場からは風が抜けると火災旋風が起きやすいといった指摘もあった。
 ヒートアイランドを押さえるために風の道が必要だと言われれば、まったくその通りだと思ってしまうし、火災旋風が……と言われると、それはまずいと思ってしまう。


 そこまでいかなくても、夏は涼しくなるのはウエルカムだけど、冬、冷たい風が吹くのはごめんだ、ということもある。


 ヒートアイランドを押さえることにどれだけの価値をおくのか、さらには都市の気候全体を、どの程度自然なものに近づけるのか、そのあたりの合意ができてこないと実際の規制に持ち込むのは難しいだろう。


 ただ、ヒートアイランド等を押さえるために、何をしなければならず、どんな努力がいるのか分からなければ、その合意もできようがない。


 そのためにはきちんとした科学的な知見が必要だ。それを地道に提供してくれるのは有り難い。生かせるかどうかは、都市計画の問題というより、市民や政治の問題ではないだろうか。


 生物多様性の観点から見れば、都市はまわりの生態系に迷惑をかけなければ良いというのも、おそらくその通りだろう。


 だが、「都市はまわりの生態系に迷惑をかけない」ということは、そんなに簡単なのだろうか。
 一つには都市がやたら広がっていて、田んぼや里山、さらには森林とも混じり合ってしまっている。瀬田さんは都市が拡散したが故に、自治体の全域を都市計画の対象にすべきと言われたが、逆にいえば、都市は迷惑をかけてはいけない自然を、領域としては放逐してしまうほど広がっているということだ。


 また都市から出る汚染物質、廃棄物は都市内で完全に処理されているのだろうか。綺麗になったとは言え、都市河川は汚いし、どんな山奥にいっても空き缶が転がっていたりする。


 それとは別に、都市のなかの生態系に無頓着な社会が、都市の外の生態系に思いを馳せることができるだろうか、という問題がある。
 「ススキとトンボが飛び交う草地景観」を目ざすのかどうか、それを例えば都市計画の場で議論するのだとすれば、そこでは生物多様性の観点だけではなく、もっと幅広い観点から、その価値を論じる必要がありそうだ。


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