原科幸彦『環境アセス法案の動向』(1)

 7月23日にCEIS環境サロンで行われた原科さんの講演を聞いた。
 主題は継続審議になっている環境アセスの改正法の内容と行方だ。
 原科さんの結論を言えば、問題が多い改正案だが、衆議院で継続審議になっており、選挙前の衆議院の担当委員会の様子からは、残念ながらまともな議論にはなりそうにないとのことだった。


 その他、気になった幾つかのエピソードを紹介しよう。

改正案の問題点

 原科さんは、「法案の最大の問題は理念だ」と言われる。
 対象事業について、現行法も改正案も「規模が大きく、環境に影響を及ぼすおそれがあるもの」としている。これが間違っている。「環境に影響を及ぼすもの」とすべきだ。

 たとえば今回の改正案でほんの少し導入される戦略的環境アセスメントは、本来、事業よりも上位の計画や政策段階で行うもので、環境配慮だけではなく、社会経済的影響をも評価し比較するものだ。事業よりも前の段階、早期に評価するという意味で大変意義深い。
 しかし、「事業の実施に当たりという」目的が修正されていないし、「規模が大きく影響が大きいものが対象」という目的も現行のままなので、戦略アセスにそぐわない。なぜなら、「事業の実施に当たり」のままでは、事業実施よりも早い戦略的段階にならないし、影響があるかどうかを評価するのがアセスなのに、最初から規模で切ってしまうこと自体が矛盾だからだ。


 それに対してアメリカの国家レベルの環境アセス法である国家環境政策法(NEPA)は「人間と環境の間の生産的で快適な調和」が目的となっている。
 だからアメリカで年間6〜8万件もアセスが行われている


 今さら、根本に戻っての法案の修正は出来ないというなら、せめて短期間での見直しが必要だと強調された。
 改正案では次の見直しは公布後12年後だという。
 参院の委員会では十分な議論がなされ、その点を修正した案が通過したが、本会議では原案に戻ってしまったそうだ。
 次の衆議院で継続審議されるが、期待できるかどうか。
 よほど世論が盛り上がらないと難しいようだ。

アセスメントとは何か

 僕はアセスメントというと、科学的な調査を徹底的に行って、環境への影響を正確に把握することだと思っていた。
 そういうものもあるが、本質はそうではないと言われる。
 早い時期に、お金をかけないでやる。これが極意だ。そして


 1)アセスはコミュニケーションの手段である
 2)アセスは自主的な環境配慮であって、公開はするが、規制ではない


という点が大切だと言われた。


 アメリカで年間6〜8万件もアセスが行われているといったが、それはそういう簡易アセスだ。本格的なアセスは200〜250件にすぎない(それでも日本の10倍はあるが)。


 規制の範囲内であることは当然なのであって、さらにどれだけ環境へ自主的に配慮したか、それを社会に示し、応答しあうことに本来の意義があるということだった。


 アセスで大事なことは合理的で公正な意思決定だと言われた。
 科学的な分析と、住民参加による民主制の担保。これが重要だ。

市民参加と合意形成


 今回の講演でも説明されたが、市民参加については『市民参加と合意形成』という本でとことん議論いただいた。
 参加には1)情報提供、2)意見聴取、3)形だけの応答、4)意味ある応答、5)パートナーシップがあるが、問題は「意味ある応答がなされたかだ」という点に原科さんの参加論の特徴がある。


 きちんと情報を提供し、意見を聞き、応答する。
 それを公共空間で議論することに意義があると言われる。(ハーバマスの公共圏でも良いのだが、やや抽象的な感じがするので、原科さんは公共空間と呼んでいるそうだ。)


 僕はこの議論は景観をめぐる議論とも重なり合うと思う。
 建築が法規を守っているのは当然だ。しかし周辺にどれだけ配慮をしているか?
 景観計画等の明示的な基準を守っているのは当然だ。しかし、計画の精神をどう読みとり、敷地の周辺の環境をどう読みとって、どのように配慮したのか。


 ともすれば、とんでもないものをいかに止めるか、規制するかに関心が集中しがちだが、本来は自主的な景観配慮を公共空間の議論のなかでいかに深化し得たのかが大切だと思う。
 これは後日紹介する景観をめぐる小浦さんの議論と心は一緒だと思う。

アセスの意義

 「簡単に」とはいえ、それなりの手間暇がかかるとすると、もれなくアセスを実施するメリットは何か。


 社会的には環境への配慮の学習機会。ろアメリカのように数万件のアセスがあれば、誰でも一生に一度や二度はアセスを体験する機会がある。まして事業者、計画者ならアセスが日常化し、日々、環境への配慮を考えることになる。これが大きい。


 また世の中にはアセスをやらないから、後ろ暗いところがあるのだろう、法規には叶っていても相当ひどいことになるのだろうと疑われて揉めることが案外多い。実は、きちんとアセスをやれば問題がないと納得してもらえるケースが大部分なので、アセスをすることで、むしろ早く事業を進めることが出来るかもしれない。


 それに機会が増えれば、技術も進歩する。



 このあたりの議論も景観の議論に敷衍できるように思う。
 特に機会が多くあってこそ、関係者も技術も育つという点は、全くその通りだと思う。
 今は、まっとうな議論の機会が少なすぎる。

(続く)
(写真は京の七夕イベントのオブジェ)


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原科幸彦編著『市民参加と合意形成―都市と環境の計画づくり