高松平蔵さんのセミナー『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか』(1)


 8月2日の高松さんの講演会も盛況でした。
 おいでいただいた皆さん、有り難う。
 正式な記録は下記にあるので見てください。ここでは興味深かったことをいくつか取り上げて紹介します。


 ○担当編集者による正式記録
 http://www.gakugei-pub.jp/cho_eve/1008takamatsu/report.htm

元気の仕掛け

 高松さんは街を元気にする地域力として、宮西悠司氏の説をベースに
 ・資源の蓄積力
 ・住民の連帯力
 ・地域への関心力
を挙げられた。その地域力を支えるのが、
 ・ヒト:政治家、行政マン、積極的な市民
 ・モノ:景観などの町のハード
 ・カネ:税収、スポンサリング・寄付
 ・情報・観念:歴史、誇り、立地条件
だと言われる。


 このうち立地条件が分かりにくい。日本だと「交通至便」とか、「東京に近い」といった理解だが、これはそういう狭い意味ではない。


 もちろん買い物が便利だとか、交通至便も関係するが、治安が良いとか、良い病院があるとか、文化ホールがあるとか、もっと広い意味で、その都市が生活するうえで魅力的か、事業をするうえで魅力的かを示す言葉だという。


 ドイツでは特にホワイトカラーは職住近接の街を好む。あとでも紹介するがアフターファイブの生活を楽しめないと人生、真っ暗という感じらしい。だから、上記のような総合的な魅力がある街に優秀な人材が集まりやすい。


 したがって魅力のある街では、既存の企業も繁栄するし、新規の起業や進出も増える。彼らは営業税を払うだけではなく、地元へのお返しとして寄付もする。それがインフラに再投資され、あるいは市民活動や文化活動を盛んにすることで、ますます人を惹きつける魅力がアップする。


 この正の循環が、昔からの城壁に囲まれた都市のなかでぐるぐる回っている。これがドイツの10万ぐらいの都市の元気の秘訣らしい(図は高松平蔵氏セミナー記録「ドイツの元気なドイツの地方都市はなぜ元気なのか」2010.8.3より)。




(C)高松平蔵

都市の魅力としての文化

 日本では、言われていても実感がないのが「文化」だろう。


 大阪府橋下知事は、オペラがやりたいなら、見に行く人がお金を全部負担すべきだと言い放ったが、ドイツでは文化を支えるのは自治体の義務と思われているという。
 ドイツでは、後述のように街に「文化大臣」に相当するポストがあるぐらいだ。


 その文化政策への市民参加の一つ、エアランゲンで行われている文化の対話(カルチャー・ダイアローグ)というものが面白い。


 これは市が主催し100〜150名の市民が参加し、テーマによっては市会議員、学者、商工会議所、教会の関係者たちも参加する。「明日の文化のお客さんはだれ?」「アーティストは街をどう特徴づけるか」「街にどれぐらい文化が必要か」といったテーマについて一日中やっているという。


 その一つに高松さんが参加されたとき、立地条件としてのアート、アーティスト、すなわち企業誘致のための立地条件と同じだと言ってみたら、ぴたっとはまったという感じだったそうだ。


 もちろんドイツの自治体も財政はよくないし、エアランゲンにはすでに劇場もあればギャラリーもあるので、こういった議論から生まれるのは「フェスティバルをやるときに、地元のアーティストを呼ぼう」といった小さな改革だが、街の立地条件はこういう小さな積み重ねからもつくられているのだという。

街のアイデンティティをつくる

 住民の連帯力や地域への関心力を高めるのは、エアランゲンはどんな街かという共通認識であり、誇りだという。それは言い換えれば街のアイデンティティだ。これがあるから、あらゆる活動が地域に収斂していく。


 では、そのアイデンティティを強めているのは何か。
 それは郷土愛と地域らしさの可視化、そして文書主義だ。

文書主義

 なんだか良く分からない言葉だが、聞いてみると、記録を文書で残すこと、そうした文書を偏執狂的に保管しておくことだという。
 たとえば、高松さんのドイツ人の奥さんは、小学校の頃の通知簿から何から何まで、きちんと整理して持っているという。それがないと不安になってしまうらしい。


 街レベルでも同じ事をやっている。
 都市は中世のときから壁に囲まれ、そのなかで膨大な記録を文書にして残している。
 たとえば1000年祭のときの街の事典は、5000円もするのに、半年で7500部も売れたという。
 10万人で7500部ということは、京都なら10万部、大東京圏なら200万部、……100億円!。
 大ヒット映画並みの売上げが郷土史で上がってしまうというのだから、羨ましいかぎりだ。


 また10万人の街でも、ちゃんと地元紙がある。18世紀末頃からあり、現在も電子化の波で苦しんではいるが、まだ街の主流紙として健在だ。その新聞がいわば街の日記のような役割を果たしている。毎日、記者が街のことを言葉にしている。それが100年、200年とたまっている。

地域の可視化

 ミュンヘンのオクトーバーフェスとよりも古い歴史があるビール祭りも、250周年のときには、その歴史を本にしてしまう。また祭の時には昔の意匠を若い人も好んで着る。
 市立の博物館にゆけば街の歴史が展示してあり、そこには移動遊園地の回転木馬の馬のお尻も展示してある。


 街のなかの歴史的に由緒のあるところに数メートルものピンをさして可視化するアートも試みられているし、街の歴史を地元の脚本家や劇団で劇にしてしまったりもする。それをまた街の人が喜んでみるという。


 いわば1000年前からずーと繋がった時間意識をもち、かつそれをことあるごとに強め、そのうえ文書化しアーカイブしていく。
 エアランゲンはこういう街だったというシティ・アイデンティティが執拗な文書化と造景で作られていく。いわばCIが「機構化」されていると、高松さんは言う。「機構化」とは、アイデンティティを強化する仕組みが街のなりわいに組み込まれているということだろう。

郷土愛

 ある場所に「エアランゲン、愛している」という落書きがあったそうだ。
 まさにこのようにして、この小さなナショナリズムが生まれているということだった。
 これは、ただ者ではない。なかなか真似ができないと思う。

続く


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