斎藤純『ペダリスト宣言!』

京の七夕


 ペダリストとは斎藤さんの造語だ。サイクリストがサイクリングと一対で、レジャーとしての自転車愛好家を意味するのに対して、日常的な場面での愛好も含めた言葉だという。
 またチャリダーという言葉もあるが、自転車を盗んでオートバイの集会に駆けつけることを「チャリンコしてきた」と言ったのが語源なので、嫌いだから使わないそうだ。


 それはともかく、これは小説家、斎藤純さんが40歳を過ぎて自転車に目覚め、自転車選びから、まちづくりまでを楽しく書かれた本だ。スラスラ読めてしまうのは、さすが工学者の書く本とは違うと思う。

自転車は世界一美しい乗り物だ

 彼の自転車愛好を決定づけたのはツールド・フランスの中継を見ていて「自転車は世界一美しく、かっこいい乗り物だ」と思われたときから。だから自転車選びもウエアの選択も結構、こだわっておられて、僕のようなママチャリ、シティサイクルで大満足人間にはついていけないところがある。


 自慢の一品は1985年製のトレック300。ビンテージものらしい。
 古い自転車を手に入れ、こつこつと手入れをして乗ってみたいという趣味を、古い建物を単に保存するだけではダメ、いろいろと使われるようにしてこそ建物が輝くという、保存と活用をめぐる論争に関係づけてしまうのだから本格的だ(p48)。


 面白かったエピソードをいくつか紹介しよう。
 たとえば19世紀末、ロンドンの中流階級で自転車が大流行したが、これを牽引したのは女性たちだったという。自転車にのるためにキュロットスカートブルマーなど活動的な服装が登場したのもこの時。女性は家で家事に専念しておれば良いといった当時の社会において、自転車は旧弊な偏見や価値観に対する抵抗のシンボルだったそうだ(p101)。


 また風景計画の先駆けである自然景観保護法がフランスで1906年に可決された際、それを準備したのは、1899年から美しい景観の一覧表を作成していた「フランス・ツーリング協会」の活動と、1901年の「フランス風景保護協会」の設立だったとアラン・コルバンが『風景と人間』(藤原書店)で紹介しているという。


 自転車好きとしては、誇りをくすぐられる良いお話だ。
 これは何かの機会に使えそうだ。

まちの自転車化

 まちづくりへの提言は、5月28日7月1日に紹介した古倉さんの新しい本と共通するところが多い。というか、古倉さんの本は自転車派にとっての常識を、世界の政策や科学的な知見で裏付けるものだから、かぶるのは当然だろう。


 ちなみに本のなかでも紹介されているが、著者が参加している盛岡自転車会議は「安心して住めるまち」「子供と老人に優しいまち」「人間主体の活気あるまち」を目ざして活動しているという(p156)。


 盛岡市の自転車条例の策定に際し、ワークショップを開いて意見を出したり、自転車マップをつくったり、さんさ踊り大駐輪場作戦や、トランジットモールなどの社会実験にも参加している。


 歩行者と自転車が利用しやすいまちに転換する「まちの自転車化」には、斎藤さんが言うように、「自転車はマイカーよりも楽しい」ということを一人でも多くの人に知ってもらうことが大切だ。


 斎藤さんはシューマッハーを引きながら、通勤にガソリンをいっぱい使うことや、お金をいっぱい使うことが豊かということなのか、と指摘する。
 かつて、高級車にのって通勤することがステータスであり、幸せの指標だった時代もあった。今は、さすがにそんな事を思っている人は少ないだろう。


 「理想は最小限の消費で最大限の幸福を得ることである」(シューマッハー)は、冷静に考えればあたりまえだ。暑い夏にエアコンなしはしんどいという人でも、窓を開ければ涼しい風がはいってくる季節には、エアコンをとめて窓を開けるだろう。
 それでもエアコンを使うのは、思いこみか、窓を開けるとうるさいとか、排気ガスが直接入ってくるといった環境の問題があるからではないか。


 だから自転車の良さを伝えることと、自転車走行の環境をよくしていく努力は車の両輪だと思う。

自転車はロハスを象徴する

 斎藤さんによると自転車は「地球環境保護と健康な生活を最優先し、人類と地球が共存共栄できる持続可能なライフスタイル」という意味でのロハスを象徴する乗り物だという。


 エコロジーは禁欲的だし、スローライフは田舎に住まないと実践できないと誤解しているッ人びとには、「ロハスって、いいんじゃないか」と受け入れてもらいやすいそうだ(p186)。


 なによりびっくりしたのだが、「ロハスの大きな特徴として、「テレビをみない」と「報道に対して懐疑的で、不満を持っている」ことが挙げられている。ロハスは、読書をしたり、コンサートに行ったり、美術館に行くという時間の使い方をするから、ワイドショーを見る時間などはない」のだそうだ。




 これって、19世紀的な町なかの豊かな暮らし方じゃない!?。
 僕はロハスについては不勉強で、アメリカの金持ちの道楽という印象だけが残っているが、そういうことなら、もう少し調べてみたい。


 最後に気に入った一文を引用させていたく。


 「自分だけの力で自転車はどこまでも行ける。それは、自分の力以上のことはできないのを意味する。自転車で遠くまで行くとき、頼れるのは自分の力だけだ」(p11)

写真は京の七夕


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○盛岡自転車会議HP
http://sports.geocities.jp/jitensha_kaigi/index.htm